第1話−5
出立の日
The day of start
| ふと空を見上げると、そこは濁った灰色に染まっていた。 まだ昼を少し過ぎた頃か、白洋の月12日といえば、まだ春の始まったばかり。この季節、セイムベル高原には滅多にない、底知れぬ不安を呼び起こす天気であった。 ヒュージは無意識に内に、その手綱を握り直す。 再び眼下を見下ろす。 空の色に反映され、薄暗い、針葉樹の森が広がっている。ちょうどヒュージの真下には、整備された1筋の道が続いているだけで、他には家1軒すら見当たらない。 「もうすぐのはず……」 ヒュージは小さく呟くと、手綱を、今度は意識的に操り、高度を下げる。 地上にだいぶ近くなり、彼の乗る飛竜の影が地面に流れるように映し出される。 端から見れば、それは幻想的な光景だったかもしれない。だが、彼の心の中は、そんなこととは程遠く辛い思いで詰まっていた。 「全隊、集合しろ!」 セレスタの中央広場に集まったのは、竜騎士団の面々。 「怪我人はいるか?」 ニーベルが大きく呼ばわる。 「第2隊のディスクがヒドラに噛まれて重傷、第4隊のカークが市民を庇い、毒を受けて治療中です」 「2人だけか、まあ上出来だ」 その2人を外した18人が、特に誰も外傷無くこの場に揃っている。 「大方の退治は終わったようだな。残りはセレスタの衛視が処理してくれる」 ニーベルはひどく焦っているようだった。その事を簡潔に言い終え、やっと本題に入って早口でまくし立てる。 「先ほど、セレスタの東で交戦があった。30分ほどのぶつかり合いだが、死傷者が200以上出ている。残りは1000人ほどしかいない。すぐに援護に出るぞ」 「はい!」 ヒュージを含む、全員が唱和する。 「2日ほど持ち堪えれば援軍が来る。それまでの辛抱だ」 1000人で2000人を2日間耐えろと云う。無茶は分かっているが、竜騎士団の全員はそれをおくびにも出さない。最初から命を捨てる覚悟の職業軍人である。 「陣は第二陣形とし、重装備の敵との交戦を考え、先ほどと同じ武器を使え。相手は弩もある。防御は念入りに。10分で準備を!」 ばっと蜘蛛の子を散らす様に、自分の飛竜の元へと走る騎士達。 「ヒュージ、来てくれ」 ヒュージも準備に取り掛ろうとしたが、ニーベルに呼ばれ、急いで団長の元へと行く。 「はい、なんでしょう」 ヒュージを出迎えた団長は、なんの前触れも無くこう言い放つ。 「ヒュージは戦線を離れ、ファルテへと戻れ。そして国王に事の次第を話すのだ。最悪、カルナスへと使者として出る事になるだろう」 戦線を離れる。その言葉に愕然とする。慌ててヒュージはニーベルに問い返す。 「ちょ、ちょっと待ってください。いきなり戦線を離れろとは……」 「この間カルナスに行った人間で、俺はこの通り指揮を取らなければならない。ウェゲナは小隊長をしている。あとはお前だ」 黙ったまま、ヒュージは団長の云う言葉を聞いていた。 「何よりお前はまだ若い。この戦いで命を捨てさせるには偲びないのでな。戦に感情は無用とは良く云うが……、まあよかろう。 まず東へと向かっている援軍、次にファルテ城に着き次第、国王に謁見しろ。その後はカルナスからやって来る軍に使者だ。親書だ報告書だ云っている場合では無いのでな。すぐに行け!」 「は、はい!」 大慌てで自分の飛竜の元へと駆ける。途中、このことを尋ねてきたウェゲナには、ファルテへの使者とだけ答える。 「そうか、急ぎな。何、心配するな。あっさり死ぬような俺達じゃない」 ヒュージは頷くと、飛竜に飛び乗る。別れを惜しまずに、バッと、飛び立つ。 事情を知ったらしい、何人かの竜騎士達が手を振っていたが、わざと振り向かずに、西へと向かう。 ヒュージにだって、そんなことは分かっているのだ。 たとえ竜騎士団が有能であろうと、1000人対2000人の戦いに、20騎の竜騎士が介入したところで結果は変わるはずも無い。 彼等が勝てるわけがないのだ。 二度と見舞える事の無いかも知れぬ仲間と分かれ、彼はひたすら西へと急ぐ。 しんしんと降る雨が、ヒュージの顔を濡らす。 先ほどの暗雲は、雨をもたらしてさらに暗くなる。 「嘘だろ……」 ついさっき聞いた言葉が信じられない。 根拠の無いデマであれば。敵の陽動であれば…… あの言葉は、たしかにファルテ城からの急使のもたらした言葉。 その急使の様子から見ても、嘘であるとは思えない。 気だけが前へ進む。 これ以上、どんなに早く移動する事も出来ないのに。それなのに、このもどかしさは何なのだろう。 やっと、広大なクリーク湖が見えてきた。 「伝令! セレスタの竜騎士団より!」 有らん限りの力で叫ぶ。ヒュージが辿りついたのは、セレスタへの援軍となるはずの魔道士団、騎兵団の約500人に、地元の志願兵達。 妙にざわついているのが気になったが、こちらはそれに取り合っているゆとりなんてものはなかった。 「伝令! 指揮官殿にご面会を!」 すぐにヒュージは騎士の1人によって本陣へと案内された。 「どうしたの」 遠征部隊の指揮官である魔道士団団長タニアが尋ねて来る。 「つい今朝方、マイトラード帝国の宣戦布告が行われ、先程セレスタの東1kmの地点にて交戦! 私が発つまでは、双方にらみ合いとなっておりました。現在は再び交戦が続いておりますが、劣勢は免れぬと!」 ヒュージは一気にまくしたてる。その報告を聞いているうち、タニアの顔が蒼白となった。 「マイトラードが、もう!?」 指揮官の隣に立つ初老の男――騎兵団の団長、ゼルト――が驚きの声をあげる。 ヒュージは唇を噛み締め、少し頭を下げる。 「ええとヒュージ君だったわね。こちらも大変なの。ついさっき、ファルテから飛竜が来たわ。重傷の使者を乗せてね!」 「マイトラード帝国の白衣騎士団と青衣騎士団が、無謀にもコル山脈越えを行い、ファルテの背後から襲ってきたのだ。我々がセレスタへ向かって発ち、カルナスからの援軍待ちをしているところに、3000人の軍隊が攻め寄せてきた。ファルテには近衛兵を中心に2000と、訓練初歩の徴兵部隊1000人。善戦はしたが、さすがにそれだけの数が来るとは誰1人として予想しておらず……」 ゼルトの説明に、今度はヒュージの驚愕する番になった。全身から血の気がさっと失われていく様だ。 「そ、それは、本当ですか……」 喘ぐ様に、辛うじて言葉を絞り出す。 タニアも戸惑いの色が隠せないらしく、いかにも自信なさげに答える。 「完全にファルテが落ちたかは定かではないわ。しかし……」 最後まで聞かなかった。すでにヒュージは走り出していた。もう他のことになど考えない。彼の頭にはたったひとつのことだけが刻まれている。 この目で確かめるまで、そんなことは信じない。 周りの騎士達の制止も振り切り、共にやって来た飛竜にばっと素早く飛び乗る。そのままわき目も振らず、すぐに西へと飛び立つ。 「ヒュージ! カルナスだ! カルナスへ!」 ゼルトのかすかな叫びがヒュージの耳に残った。 雨が強い。もう日が暮れる刻限だろう。 ヒュージの頬を、雨に紛れてひとすじの涙が伝わる。 「絶対に負けない……。負けてたまるか!」 つい先日、通り抜けたばかりのアイゼルドを飛ぶ。 あの時の状況と、たった数日でここまで変わってしまうものか。 アイゼルトでは、ファルテでの戦闘とは別に、ラーダ王国の騎士の残党狩りのため南下してきたのか、マイトラード帝国の鎧と思われる部隊と、今1歩遅かったカルナス共和国の援軍、一部のラーダ王国の騎士団が大規模な戦を展開していた。 彼らは既にセレスタの部隊の行く末もうすうす感づいているだろう。 幸い、漆黒に染まった空のおかげでヒュージの存在は気付かれていない。 今、ここで降りるよりも、カルナス共和国まで。カルナス共和国の首都フォンまで行くべきだ。 そう彼は判断すると、再び雨の中を西へ飛び始めた。 ファルテは燃えていた。 この土砂降りの雨の中、まったく火の気は収まる事を知らないかのように荒れ狂い続ける。 つい数日前まで、あの湖のほとりに美しい姿を誇ってきたファルテが燃えている。 「飛竜が来たぞぉ!」 「弩を!」 「相手は1騎だけだ! 確実に仕留めろ!」 追いすがるマイトラードの青騎士をコルセスカで一閃、首を吹き飛ばされた騎士の青い鎧がみるみるうちに赤く染まっていく。後から考えれば、初めて人を殺した瞬間であったが、それよりも黒い感情がヒュージを支配していた。 既に城は落ちていることは明白であった。だが、分かってはいても、自分の内から噴き出す感情を抑えられない。手当たり次第に、美しかったラーダを踏み躙った敵を斬り、突き、倒して行く。 相手が死ぬ事の悲しみも感じない。あるのはただ怒りと憎しみだけだった。彼が新しい故郷だと慕っていたラーダが…… ヒュージは絶叫していた。何を叫んだのかもはっきりしないほど、ただ力の限り叫ぶ。 ヒュージの行く先々には、鮮やかな血の雨が降った。 敵陣の中央を低空で駆け抜けると、突然の怒声。最後のラーダ王国の騎士が必死の交戦の途中であった。 はっと我に返るヒュージ。 リーゲンと思われる、近衛騎士の将軍姿の男が大声で叫んでいるのが微かに聞こえる。 「カルナスへ! カルナスへ行って、この事を伝えるのだ!」 そうだ、カルナスへ。 ヒュージは了解した、と大きく手を振ると、機首を返して西へと向かう。 ラーダ王国を救うには、これが最善の策なのだ…… そして…… ときたま鋭い音と共に、稲光が走る。 カルナス城が見えてきた。 だが…… 「嘘だろ……」 再び、この言葉を口にする。 ヒュージの視線の先には、ファルテ城と同じく赤い火の手に包まれている。 他に行くべき場所はない。彼は全速でカルナス城へと向かう。 少しずつ大きな形を現してくるカルナス城。ふと、彼の目はひとつの影がこちらへ向かってくるのを見つけた。 飛竜だ。カルナス共和国にも、極わずかだけいる飛竜。ヒュージはすぐにその方向へと飛ぶ。 向こうも気付いたようだ。両者の距離は一気に縮まる。 「逃げて! カルナスから早く!」 乗っていたのは、まだ若い女性だった。ヒュージより少し年上、か。 しかし、そんなこと考えてもいられなかった。彼女を追ってきたらしい、幾匹もの魔物達が現れる。 そう。 今度はマイトラード帝国のせいではない。 今やカルナス城は、大地を埋め尽くさんばかりの魔物の群れによって覆われていた。 |