第3話−5
国境の攻防
Battle of border
| 「イフリートと名乗る魔物は、何が目的だったのでしょうか……」 セレスタから、ラーダ王国の首都ファルテへと通じるレウラ街道を、マイトラード帝国の金色の軍隊が北進している。 今はセレスタからすぐにある最初の難関、セレスタ峠を越えた辺りで、1日分は続いた山道をやっと終え、そろそろなだらかな高地に入ろうかという具合だった。 「さあな。だが、いくらアレックスでも、幻獣イフリートの名前くらいは知っているだろう」 フランシスの隣に馬を並べて進むアレクサンドルの疑問を、彼は適当に受け流す。 「はあ。ですが、幻獣というのはもう過去の生き物で、今のこの時代にそぐわない気がしますね、どうも。それに、カルナスの魔道師達ならともかく、マイトラードでは幻獣とか、魔法とか、馴染み深い方でもないですし」 「だが、実際にいるのは事実さ。目的如何にしろ」 「レインダストの血は、というやつですか。そのレインダストって、一体なんですか。あまりいい噂は聞いていませんが、あ、いやいや。将軍の出身地、でしょうか。やつの口ぶりからすると」 少々口が滑ったアレクサンドルを苦笑いして流す。 「あまり、深く詮索しない方が身のためだぞ。下手に知って、命を狙われたら洒落にならないしな」 「それは……、困りますね」 「とはいえ、お前ほどの階級で、俺の側であいつを見た以上、もう手遅れかもな」 「それはそれで……、困りますね」 「ま、いいさ。少しは有用だろう、聞いとけ」 「あまり良くないんですが」 とばっちりをくった感で迷惑そうな顔をしているアレクサンドルを尻目に、フランシスは真顔になって続ける。 「イフリートは幻獣だ。1000年くらい前の魔大戦を境に、聖域へと隠匿した種族の一員さ。やつ自体はそれほど階級の高い幻獣ではない。まあ伝承くらいは知っているだろうが、炎の力を持つ幻獣ってとこか。ラムウ、シヴァといったのと同列ってとこだな。 魔大戦も、伝承で知ってる程度か?」 「ええ、幻獣と人間の戦争ですね」 「実際の魔大戦は、そんな生易しいもんじゃない。当時はまだ幻獣と人間達が共存していた。また、その頃にはけっこうな数の魔道師達も台頭し始めていた。魔道師ってのは、人間と幻獣の混血だからな。 そんななか、一人の人間が幻獣の力に嫉妬を覚えた。当人は魔道師の血は引いてなかったんだが、力への執着が人一倍強かったと伝えられている。そいつはどうやってだかは知らないが、統一帝国の王に取り入り、ある研究を始めた。その研究は、幻獣をサンプルに使い、魔道師の血を引かない人間にも魔法を扱えるようにしようというものだ。だが、その研究過程で、その人間は堕落した。その人間は力に取り付かれ、力に支配された。 幻獣や魔道師達が気付いた頃には遅かったよ。その人間は幻獣達に公然と反旗を翻したが、上手く立ち回って人間達を味方にした。幻獣達が人間を裏切った、としてね。 戦争はとんでもなく大きくなったさ。統一帝国のあちこちに飛び火してね。人間は非力だったが、数は圧倒していた。幻獣は確かに強力だったが、それでも強い力を持つ幻獣の数は限られていた。だから、彼等は自らの子供達、魔道師と、魔獣を使って戦った。 最終的に、幻獣達の勝利に終わった。力に見入られた人間は討たれた。幻獣の目的は達成されたが、それを知らぬ人間達はなお戦い続けた。戦う目的を失った幻獣と魔道師達は今度は攻め立てられ、ヴァルハラで最後の決戦が行われた。戦いは一月もの間続き、広大な森林は焦土と化した。 最終的には、不利を悟った人間と幻獣の間で講和がなされ、幻獣はそれ以来、自らの聖域とするヘイムダールに退き、歴史から姿を消した……」 フランシスは一息つくと、アレクサンドルの顔を見やる。 「それは……、知りませんでした」 「もったいぶって云ってみたが、別段これは秘密でもなんでもないぞ。歴史学を学んだ人間は知ってて当然の話だからな」 「……は?」 拍子抜けした顔をする相手の顔を見て、フランシスは笑った。 「まあ知ってて損はないだろう。 で、これからが本番だがね。レインダストについて、どの程度知っている?」 「レインダスト、ですか。私の知ってる限りですと、今もなお幻獣と共生を続ける魔道師達の隠れ里とやらで、その場所を知る者は誰一人としていない、と。あと、そうですねえ、あまりに一緒にいたためにほとんど化け物と見分けがつかない、とかいう話もあるらしいですね」 「化け物扱いかよ」 「いえいえ、私の云った事ではないですし、将軍は見た感じ、人間です。まあ魔道師だったのは驚きですけどね」 「……まあ、いいさ。 これはさすがにいろいろ云えないな。 レインダストは、魔道師達の里だ。彼等は魔大戦終結後から世間と離れ、再び魔大戦の惨劇を繰り返さぬよう、歴史の影から世界を見ているってトコだな」 「そうですか。ご苦労なさっているわけですね」 「俺はただ、閉ざされた世界に嫌気がさした変わり者だよ。 ……だが、何故イフリートはレインダスト出身者を狙った。村に何か……?」 最後の方は、独り言となり、アレクサンドルの耳に届く事はなかった。 休憩がふれられて、ビクトルはやっと馬から下りることが出来た。 昨日1日は、主要街道として赤レンガで舗装されてはいるものの、ほとんどが山登りに費やされ、馬の脚の心配だの輸送部隊の騒ぎだのでほとほと疲れ果てている。今日は今日で景色の変化のない森の中である。時折、宿場町がある程度か。これはこれで、退屈である。 今日最初の夜間当直に当てられた騎士達の羨ましそうな眼差しを余所に、彼は親友クラックスと共に糧食を取り、少しでも体を休ませるためにマントに包まってさっさと眠ってしまった。 「第310中隊、起きろー、歩哨の交代だ」 まだ朝日も昇らない早朝に、ビクトルはたたき起こされた。 「ほれ、クラックス、ぼーっとしとるでない。オリオール、いつまで寝てる。さっさと起きろ」 中隊長の檄が飛ぶ。ビクトルもまだ眠い目をこすりつつ、歩哨の任務のための身支度を始めた。 「白洋の月10日、現在朝の第1刻。第310戦闘中隊、ただいまから1刻の間、歩哨任務に就く事」 「第311戦闘小隊隊長ビクスン・アラバラート、了解しました。ただいまから1刻、歩哨任務。引継ぎ、ご苦労であります」 「第312――」 向こうの方で隊長達による事務手続きが行われるのを横目で見ながら、彼は毛布などをまとめて、自分の馬の背に乗せる。 朝に弱いクラックスはまだのろのろと動き始めたばかり。苦笑しながらも、ビクトルは別段手を貸そうとかは思ってはいない。彼等騎士達は、それが一人で当たり前に出来ることを要求されているから。 そうこうしているうちに、他の中隊では騎乗が始まったようで、隊内も大きくざわついてきた。 「第310中隊、夜間歩哨の任に就く。全員騎乗!」 自分の所属する中隊長の声が響いた。ビクトルをはじめ、100人の騎士が一斉に馬に乗る。 陣の少し外側――つまるところ街道の端に空いている空き地の縁――に移動して、適当な間隔で置かれた松明の火を頼りに歩哨任務が始まった。 ちなみに。 マイトラード軍は、正規軍として白、黒、赤、青、黄に彩られる五大騎士団で編成されている。近衛騎士団や皇帝騎士団、各公爵騎士団や国境警備隊など、他にもいくつもの騎士団、軍隊はあるが、中心になっているのはやはり五大騎士団である。 五大騎士団は、それぞれ人数は一緒で、公称4000人。編成は、500人で組織される大隊が8大隊、100人で組織されている中隊にすると40隊、20人ごとに組織された最小単位である小隊にすると、全部で200隊になる。これが騎士団である。さらに、実際には歩兵、弓兵、特殊部隊や輸送部隊まで付くので、4000人をはるかに超えるのである。 そして戦闘時などの利便性を図るため、それぞれの中隊は3桁の部隊名で呼ばれる。百の位に大隊を入れ、十の位に中隊、一の位に小隊を入れて表記される。第3大隊第2中隊第1小隊なら321、第7大隊第2中隊第1小隊なら721。騎士は戦闘任務を担当するので、これに戦闘小隊、と役職が分かるように続けられる。一の位を0で表記すると、中隊まるごと、という意味になる。 歩兵なども同様に番号が決められていて、各60からが歩兵、70から弓兵、80から偵察と伝令隊、85以降にその他特殊部隊が入り、90から輸送部隊となっている。60以降はそれぞれ一の位は0から始まっている。 以上の事は、特別な軍事機密でもなんでもなく、レムネジア海沿岸地域、特に北部でよく使われる分類法である。各位はそれぞれ役目が違う事が多いが。 悴んだ手をさすりながら歩哨の任務を続けるうちに、遠く東の空が白み始めた。 もうじき、朝日が昇る。 時と共に、森の中を小鳥のさえずりがこだまするようになった。 徐々に、隊列の中で起き始めた者の動く姿が見られるようになってきた。 そして、東に聳え立つ雪を被るコル山脈と、南のケルム山地の間に開いたセレスタ峠の方角から、光をもたらす太陽が、その幻想的な姿を現した。 新年が明けてまだ短い。吐く息も白い。 白洋の月10日。 また長くなりそうな1日が始まった。 伝令のもたらした情報は、簡潔だった。 「予測通り、ですね」 朝の輝く太陽の光に目を細めながら、アレクサンドルが呟く。 「ああ。長い1日になりそうだ」 同じく、朝日を眺めるフランシスの脳裏には、何が浮かんでいるのだろうか。 「時間は?」 「はっ、間もなく朝の1刻半なろうかというところです」 アレクサンドルの問いに、当直の騎士がすぐに答える。 「全軍に通達。朝の2刻をもって、進軍を再開する。糧食を使うなりして、準備を怠りなくするように」 フランシスが、ゆっくりと命令を出す。 「かしこまりました」 「昼頃には、ぶつかるだろう。多分、抵抗されると思うので、そのための準備も忘れるな」 「はっ!」 |